「答申が出てから動く」では、間に合わない理由
前回の記事で、2026年度の最低賃金は6月諮問・7月答申に向けて議論が進んでいることをお伝えしました。
「では、企業として今から何をすべきか」――。ここからが本題です。
結論から申し上げると、答申が出てから動き始めると、ほぼ間に合いません。理由は3つあります。
- ・業務改善助成金 など、引き上げ前の事前申請が原則の助成金は、答申を待っていると事業計画作成が間に合わない
- ・賃金テーブルの見直し は試算だけで2〜3週間、社内承認まで含めると1か月以上かかる
- ・取引先への価格転嫁交渉 は、相手の予算編成サイクルに乗せる必要があるため、9〜10月では遅い
そこで今回は、社労士事務所として顧問先で実務支援している内容をベースに、「答申までの2か月でやっておくべき6つの実務」をチェックリスト化してお伝えします。
実務① 賃金テーブルの現状を「見える化」する
最初の一歩は、現状を数字で把握することです。意外と多くの中小企業で、賃金テーブルが「人によってバラバラ」「ルールが文書化されていない」状態のまま運用されています。
やること
- ・全従業員(パート・アルバイト含む)の 時給換算額一覧 を作成
- ・最低賃金との差額 を一人ずつ算出
- ・役職・等級別・職種別に分布を可視化
ポイント
時給換算は次の式で算出します。
| 雇用形態 | 算式 |
|---|---|
| 時給制 | そのまま |
| 日給制 | 日給 ÷ 1日の所定労働時間 |
| 月給制 | 月給 ÷ 月の所定労働時間 |
固定手当(職務手当・役職手当等)は時給換算に含み、通勤手当・残業手当・賞与・家族手当は含めません。判定基準は厚生労働省の「最低賃金の対象となる賃金」に準じます。
実務② 3シナリオで「年間人件費インパクト」を試算
現状把握ができたら、引き上げ後の負担を3パターンで試算します。前回の記事でも触れましたが、現実的なシナリオは以下です。
| シナリオ | 引上げ額 | 想定背景 |
|---|---|---|
| 保守ケース | +30円 | 政権交代で目標下方修正・経済情勢悪化 |
| 中位ケース | +60円 | 直近3年平均並み |
| 強気ケース | +100円 | 外部圧力(日弁連・労組)反映・物価高継続 |
試算に含めるべき項目
直接の時給アップだけでなく、以下を含めて初めて「真のインパクト」が見えます。
- ・直接の 賃金増加額
- ・社会保険料の事業主負担増(賃金増の約15%)
- ・賞与・退職金引当への波及(賃金連動型の場合)
- ・正社員ベースアップへの波及(賃金カーブ圧縮回避)
「パートだけだから影響少ない」と感じていた経営者が、試算してみたら正社員側のベースアップが最大コストだったというケースは珍しくありません。
詳細な引き上げ予測は 2026年の最低賃金予測と中小企業の対策 の記事をご参照ください。
実務③ 「影響を受ける社員リスト」を作成し、層別に対応案を考える
試算と同時に、個人別の影響額リストを作成します。これがないと、いざ引き上げが決まった後の社内対応が場当たり的になります。
リストに入れる項目
- ・氏名・雇用形態・職種・所定労働時間
- ・現在の時給換算額
- ・最低賃金(シナリオ別)との差額
- ・引き上げ前の対応要否(最低賃金を下回るかどうか)
- ・引き上げ後の昇給原資の捻出方法
層別の対応戦略
| 層 | 対応の方向性 |
|---|---|
| 最賃ぎりぎりのパート | 自動的に引き上げ。賃金カーブの起点を再設計 |
| 中堅パート(最賃+100〜200円) | 圧縮回避のため底上げを検討 |
| 新卒・若手正社員 | 初任給見直し(採用市場との比較も併せて) |
| 中堅・ベテラン正社員 | ベースアップとセットで評価制度を見直す好機 |
最低賃金の引き上げは、人事評価制度を見直す絶好の機会でもあります。当事務所では人事評価制度の作り方(中小企業向け)の記事で詳しく解説しています。
実務④ 助成金の活用余地を洗い出す
最低賃金引き上げに伴って活用できる助成金は複数あります。それぞれ申請期限・要件が異なるため、早めの洗い出しが肝心です。
主な活用候補
| 助成金 | 概要 | タイミング |
|---|---|---|
| 業務改善助成金 | 賃金引き上げ+設備投資をセットで実施した場合に支給 | 令和8年度は 9月1日〜地域別最低賃金発効日の前日 または 11月30日のいずれか早い日まで の事前申請が原則(事後申請不可) |
| キャリアアップ助成金 賃金規定等改定コース | 有期雇用労働者等の賃金規定を改定した場合の支援 | 改定後6か月の賃金支払い実績が必要 |
| キャリアアップ助成金 正社員化コース | 有期雇用労働者等の正社員化に支給 | 転換後6か月の賃金支払い実績が必要 |
| 人材開発支援助成金 | 訓練を通じた賃金引き上げ要件で加算あり | 訓練計画提出から開始 |
※申請期間・要件は年度ごとに変動します。最新の正確な情報は 都道府県労働局 または 厚生労働省の公式案内 で確認してください。
注意点
業務改善助成金は 「引き上げ前」の事前申請 が原則で、引き上げ実施後の事後申請は認められません。さらに令和8年度の申請枠は11月30日(または各地域別最低賃金発効日の前日のいずれか早い方)で締め切られるため、答申が出てから動くと事業計画作成が間に合わないケース が想定されます。
「上がりそうな額を仮置きしてでも、5月〜6月のうちに事業計画を立てておく」 ことが現実的な対応です。
キャリアアップ助成金の2026年最新ルール(3%増額判定の対象賃金など)は キャリアアップ助成金 2026年 賃金設計のポイント で詳しく解説しています。
実務⑤ 価格転嫁の「社内資料」を整える
最低賃金引き上げのコスト増を顧客・取引先に転嫁する場合、説明資料の質で交渉結果が変わります。
用意しておく資料
- ・人件費比率の3年トレンド(自社決算ベース)
- ・業界平均との比較(経産省・中小企業庁の統計)
- ・同業他社の価格動向(公開情報・業界紙ベース)
- ・価格据え置き継続時の利益率影響シミュレーション
- ・対応する付加価値向上策(生産性向上・品質向上の取組)
国の後押しを活用する
- ・パートナーシップ構築宣言(中小企業庁)への登録
- ・価格交渉促進月間(毎年9月・3月)にあわせた交渉
- ・下請けGメン への相談ルート確認
「値上げをお願いします」だけでは突破できません。「なぜ・いくら・いつから」を数字で示せる準備が、結果を左右します。
実務⑥ 規程・契約書の見直しポイントを確認する
最低賃金引き上げに伴って、関連規程・書類の見直しも発生します。
見直し対象
| 対象 | 見直しポイント |
|---|---|
| 就業規則(賃金規程) | 賃金テーブル、固定手当の見直し |
| 雇用契約書 | 時給・所定労働時間・固定手当の記載更新 |
| 賃金台帳 | 改定後の支給額が正しく反映される設計か確認 |
| シフト管理 | 最低賃金近傍の時給設定がアラート対象になるか |
| 求人票 | 求人媒体・ハローワークの掲載時給を順次更新 |
特に雇用契約書は、最低賃金改定のタイミングで再締結が必要となるケースがあります。再締結漏れは労基署の是正勧告対象になり得るため要注意です。
雇用契約書の書き方は 労働条件の記載は明確に決め込む という方針が重要です。「シフトによる」「2〜6時間」など幅のある記載は、義務の所在を不明にするため避けるべきです。
6項目チェックリスト(印刷推奨)
| # | 項目 | 完了目安 | 状況 |
|---|---|---|---|
| 1 | 全従業員の時給換算額一覧の作成 | 6月上旬 | ☐ |
| 2 | 3シナリオ(30/60/100円)の年間人件費試算 | 6月中旬 | ☐ |
| 3 | 影響社員リストの作成と層別対応案 | 6月下旬 | ☐ |
| 4 | 活用候補助成金の洗い出しと申請計画 | 6月中(業務改善助成金は特に急ぐ) | ☐ |
| 5 | 価格転嫁の社内資料整備 | 7月上旬 | ☐ |
| 6 | 規程・契約書・求人票の見直し計画 | 7月答申後〜10月発効まで | ☐ |
まとめ|「準備した企業」だけが、引き上げを乗り切る
最低賃金引き上げは、もはや「外部環境」ではなく「毎年やってくる経営イベント」です。準備した企業と、答申を待ってから慌てる企業では、3か月後の財務にはっきりと差がつきます。
- ・賃金テーブル・人件費試算は6月中に
- ・助成金の事業計画は5〜6月のうちに
- ・規程・契約書の見直し計画は7月答申後すぐに
これらを着実にこなしていけば、引き上げ幅がいくらに決まっても「想定の範囲内」で対応できます。
最低賃金の最新動向そのものは、2026年最低賃金の議論 5月時点アップデート と 2026年の最低賃金予測と中小企業の対策 で随時更新しています。あわせてご覧ください。
社会保険労務士法人 労務ニュース/株式会社労務ニュース
代表取締役 倉田 諒
賃金テーブル試算・助成金活用・規程整備のご相談は、HPのお問い合わせフォームからお気軽にどうぞ。
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